大阪市天王寺区・西区の
児童発達支援・生活介護「スバコ」

ゆび いっぽん


 

だからって

 

どうってことはないんだけれど

 

どう?って聞いてみようかな

 

 

 

大きな空に見つけた小さな飛行機

 

 

だから?って

 

どうってことはないんだけれど

 

あ!って声に出してみようかな

 

 

 

ゆび いっぽん 伸ばしてみよう

 

 

「せんせい!みてみて!」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

指差しを始めたのはいつでしょう

 

指差しをしなくなったのはいつでしょう

 

指差しっていったいなんでしょう

 

特に言葉や社会性の発達において

子どもの指差しの有無や状況を

確認することがあります

 

 

ワンワンやマンマなどの

初語が出る時期(言語獲得期・一語発話期)の

前後で確認されることが多く

 

前言語期というコミュニケーションの基盤を

学んでいる時期の終盤に獲得される

その一つが指差しです

 

 

コミュニケーションの基盤?

 

お母さんとどうすれば離れずにいられるか

 

お母さんの関心を

どうすれば自分に向けることができるか

 

不安になって泣いていたらば

泣いている自分に気づきはじめて

泣く行為が手段であることに

気づきはじめるのですね

 

 

お母さんを困らせながらも

互いに葛藤の毎日の中で

コミュニケーションを

勉強している時期ともいえます

 

 

そんな前言語期の

終わりを知らせる子どものサイン

 

それが指差しでもあると考えられていますが

指差しをしなくても

話し始める子どもはいますし

指差しをよくするけれども

2歳を過ぎてもあまり話し始めない子もいます

 

 

大切なことは指差しをしたくなる

相手との関係かも知れません

 

指差しの出現には

<自己-他者>の二項関係や

<自己-対象-他者〉という三項関係

が関わっています

 

この始めの二項関係は、他者を

「自分の要求を満たしてくれる心地よい存在」と

理解することで築かれていきます

 

 

「自分の要求を満たしてくれる心地よい存在」

 

少し都合の良い相手のような言われ方ですよね、、、

 

ただの利益関係という意味ではなくて

子どもにとっては相手と通じ合っている関係です

 

 

そんな仲であってこそ始める指差しであり

通じ合っているだろう関係ですから

親であってもその指差しに

気づかないこともあります

 

している本人だって気づいて

やっていることではないかも知れません

 

共に感じあえる仲だから指差しをするのでしょう

それを「共感の指差し」と呼ぶことがあります

 

その一方で

要求の指差しと呼ばれるものもあります

 

大人が子どもに教えやすいのはどちらでしょうか

 

欲しいと感じる具体的な対象を指で示して見せれば

要求の指差しは方法として学習できたりしますが

 

その具体的な対象が物ではなくて

キレイとかビックリと感じている心の中が

相手と一緒になったと教えることは少し複雑です

 

 

そんな教えるには難しい共感の指差し

教えることなんてできるのでしょうか?

 

それが難しくても

 

それが生まれるような関係を

大人が子どもと育んだり

子どもが大人から感じたり

子ども同士で大切にする方法はあるように思います

 

 

どうでもいいことだけれど

それを言える関係

 

「そうなんだ」

 

それで終わることだけれど

 

それでも良い関係

 

そんな関係づくりを支援を通して大切にしています

 

 

子どもが話せないことは困ることですが

 

話さなければ困るほどの内容でなくても

 

伝え合える関係が大切に思います

 

 

「ねーお母さん」

 

  「なーに?」

 

「なんでもないけど」

 

  「なんだそれ」

 

 

 

そんな会話ではないような会話も

 

子どもの指差しなのかもしれませんね

 

 

 

  subaco bond 谷町 寛奈トレーナーから