大阪市天王寺区・西区の
児童発達支援・生活介護「スバコ」

音韻意識


 

話せないのは

書けないのは

きっとボクだけのせいじゃない

 

言葉のキミにも理由がある

 

だってキミ

曖昧さが売りの

ハッキリしないヤツなんだろう?

 

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この世界に数を持たないものはあまりない

 

そんな不思議に導かれるよう遊び始める子どもたち

 

落ち葉を一枚拾ったり

小石を一つずつ並べたり

積み木を一つ一つ積んでみたり

 

 

どんな固まりも「一つ」という単位で包まれていて

その「一つ」「一つ」を操り遊びはじめる子どもたち

 

 

そんな「一つ」「一つ」という成り立ちが

口に入れられるモノや目で見えるもの

手で触れるものだけでなく

耳から聞こえるモノ

「音」という単位にも当てはまる

それに近いモノが『音韻』なのかもしれません

 

 

『音韻』という漢字2文字

その『音』の字の前には『言語』が隠れていて

ここでは『言語音』の韻(響き)を意味しています

 

 

一塊りの文を作る一かけらの単語や助詞

一かけらの単語や助詞を作る一粒が音韻

 

この音韻の一粒の範囲に曖昧さがあり

その理解につまづく子どもたちがいます

 

 

例えば

『りんご』が『り・ん・ご』の3単位の音韻からなる

その理解につまづくことがあります

 

音韻は母音または母音と子音のセットで1まとまり

(/a/や /pa/など)

そう教わるよりも

声と一緒に息を吐き出したり

口を開閉する運動の感覚を

音韻の1 まとまりと認識していきます

そうなると

長音(ー)や促音(っ)などはその基準に当てはまりにくいため

『国語』として教科的な知識を学ぶ必要があります

 

 

その教科的な学びのなかでも

特に『ん』という撥音はやっかいで

『ん』は50音の1つに認められた音韻ですが

『ん』だけ口から息が出ない音韻(鼻音)という特色があります

そのため『りん』や『そん』などと聞こえる範囲を

一つのまとまりと認識する陥りやすさが潜みます

 

そうではなく

『ん』の響きは音韻の一つと習う必要があるのですね

 

 

まだまだ複雑なことは続きます

 

 

聞き言葉や話し言葉の音声言語では

無声化という現象が起こります

 

 

 

『すき』という言葉や

『〇〇です』という言葉も

書き言葉なら『す』という1文字になり

ローマ字変換すれば/SU/の2文字ですが

 

話し言葉になると

『ʃki』(ski)

『ɗeʃ』(des)

というように

『す』の/u/ の母音の発声が消えるのです

 

 

しかしながら

『ʃki』という聞き言葉と

『すき』という書き言葉では

物理的な違いがあっても

人の認知的な次元では

同じ音韻として認識されます

 

不思議ですよね

考えれば考えるほど難しく感じてしまいますよね

 

 

そんなミステリアスな言葉を

大人は子どもにどう教えていくべきでしょう?

 

 

読み書きにつまづく子どもたちに

音韻操作のレッスンとして

言葉を逆に言ったり、書いてみたり

(「さかな」を「なかさ」)

言葉にある文字を除いてみる練習があります

(語中の音節を除いて「さかな」を「さな」)

 

 

音韻を正しく並べ替えることだけが狙いではなく

子どもが言葉のいい加減さ、粗さに引っかかっているかを調べるために

「ふくろ」や「あした」など母音の/u/や/i/が無声化する特徴をもつ語を刺激してみて

そこで子どもが答えた内容よりも

子どもの答える自信の度量に注目し

「ろくー」と書いても

「たしゃ」と言っても

 

(そうだよな)

(そうなるよね)

とその子が認められることが

スモールステップの1段目のように思います

 

 

間違った子なんていない

人が作る完全なモノなんかもない

 

 

いい加減な相手でも

付き合いうまくすることで

感じる幸せがきっとある

 

 

言葉以上に大切なものを学びたい

それを言葉で学べるものではないかも知れませんが

子どもが言葉の奥にあるものを知るために

子どもが言葉の奥にあるものを伝えるために

言葉の端を学んでみませんか?

 

 

少しずつ

少しだけ