大阪市天王寺区・西区の
児童発達支援・生活介護「スバコ」

お家で最後を迎えるということ。


私が担当していた利用者さんが亡くなられました。

90歳手前でした。

脳梗塞発症から10年以上経過するご主人。

パーキンソン症状(動作が鈍い、歩行が小刻みで危ない)など

ADL(日常生活動作)の低下や、脳血管性や萎縮性の混合と思われる認知症も進行しつつ。

それでも、ご家族さんはご主人との在宅生活を選択されました。

娘さんとはほぼ毎回のサービス終了後、お茶する時間を下さいました(お茶の先生でした♪)。

娘さんは常々話されていました。

『私も私の息子もいずれはお爺さんみたいに寝たきりになる。

みんな一緒。だからみんなで介護するの。それが家族だと私は思うの。』

ご主人は脳梗塞を繰り返し、最後は自発呼吸のみが残存する程度にまで脳機能が低下しました。

口から物が食べられず、胃瘻で栄養する生活が4年ほど続きました。

胃から栄養を摂るということは身体が弱ると思い込む方もおられますでしょうが、

ラコールなどの経腸栄養剤はとても優れたタンパクアミノ酸製剤です。

乳褐色の液体にミネラル、ビタミン、糖質、脂質、タンパク質等身体に必要な栄養が

とてもバランスよく含まれています。

この液体だけで長生きできてしまうように思います。

本当にすごい時代だと思います。

長寿社会の理由について、一説では医療の進歩よりも食品栄養価の向上と考えられていることが

経管栄養で生活されている利用者さんをみて、納得できてしまうほどです。

話がそれました。

 

しかし、このご主人

寝たきりで言葉も出ず、身振り手振りで意思を表現されることができませんが、

しっかりと体操(両股関節屈曲・内旋・内転等の可動域練習や体性感覚や前庭感覚などを意識したバランス練習)を行えばベッドの端に背もたれ無しでちょこんと座ることが出来るんです。

そうすると、呼気が少し深くなり、表情が柔らかくなるんです。

不思議な経験でした。

ご家族さんは良く話されていました。

『お父さんは分かっていると思う。寝たきりで言葉も出ないけど、見開いた目の動きや歯の食いしばり方、頬のつっぱりがいつも違うんです。』

最近の科学では近赤外線脳機能イメージング装置を用いて

言語や視覚、聴覚などの脳活動を大脳皮質の神経活動に伴い変化するヘモグロビン(血流)の

変化量を計測して画像を表示することが出来るようですが、

気持ち(情動)を数値化・定量化することは皆無と云われています。

しかし、ご主人の気持ちがご家族様には伝わるのです。

不思議ですよね。

人を評価するのは根本的に科学ではなく、人なのですよね。

だからこそ堂々と個人固有の感覚(感性・観性)を磨くことが大切であり、

それが芸術というものを世に存在させた理由でしょうか?

またまた、話がそれました。。。

 

 

さて、これ以降の文章は介護・医療の突き進んだ内容になります。

ここまでの内容に疲れた方は読まれないことをオススメいたします。

 

 

そして、ご主人は痰が増えてきました。

痰が意味することは口腔や気管内に細菌が増えているということ、

つまりは人体の危険信号です。

痰を摂ることが大切です。

娘さんも80代の奥さんもカテーテル装置で痰を吸引されていました。

痰を摂りやすくすることも大切です。

体位変換のためにポジショナークッションやリクライニングベッドの活用、投薬。

しかし、私が大切に思うことは痰が形成されないようにするための取り組みです。

痰を取り出すテクニックよりも、痰そのものが生まれないようにしないと。。

細菌を気管・口腔内の粘液が覆って取り出しやすい形にしたのが痰。

その痰を取り出して喜ぶよりも、細菌がわかないようにしないと。

その原因の一つがやっぱり、胃瘻による経腸栄養の影響です。

口から食物摂取しなければ、唾液が出ず乾燥してしまいます。

歯磨きの回数も減りますよね。

口腔ケアが肝心です。

でも、歯ブラシを口に入れたとたんに歯を食いしばってしまうご主人。

イソジン系のスプレーでのケアが精一杯です。

そんな細かなケアも毎日となればやっぱりご家族さんも大変ですよね。

それでも家族皆さんで頑張った10年間。

 

 

いよいよ熱が出てきました。

呼吸数も増え、喘息に陥りました。

予想していた肺炎になりました。

ドクターからは入院を勧められました。

しかし、娘さんは入院を拒まれました。

もう入院は辛い、ご主人を家から出したくないとの事でした。

ご主人がどんなに苦しくても一つ屋根の下で、家族皆と最後まで暮らす事を選択されました。

家で看取ることは本当に素晴らしい事だと私は思います。

しかし、決して簡単なことではありません。

 

家族の死に際と直面したとき、

救急車を呼ばない度胸がありますか?

 

 

(入院すると 死なずにすむかもしれない)

 

 

そんな考えを捨てる勇気がありますか?

 

 

私は自分の親の死に際に直面した時、

こちらの娘さんのような勇敢な決断ができるか自信がありません。

本当に揺れると思います。

それでも、このご主人が本当に幸せな最後であったように思います。

それは私がこのご家族以外を看てきたからだと思うのです。

出来るなら、出来る範囲で家族と過ごすことがやっぱり幸せなことだと思います。

施設生活でも最後は救急車で搬送され最寄りの病院で最後を迎えることが一般的です。

そこには驚きがありません。

職員皆、見慣れた光景です。

スタッフであった私も戸惑いを感じても、帰宅して晩ご飯を食べることができます。

麻痺しているのだと思います。

麻痺しないと働けないのだと思います。

でも、できるなら今、この世からお別れをしようとしている方のすぐ隣で

真剣に泣いてくれる人、家族があることが一番の幸せだと思います。

 

できるならお別れしようとしている場所が非日常の救急車の中ではなく、

非日常の病院でもなく、

思い出の詰まった場所であることが望ましいと思います。

 

これには様々な意見、考えがあると思います。

私もブログで思いを綴るのも深入りしすぎたように思います。

しかし、いずれは死に逝く皆さんが最後はどうしたいかを

残された家族、看取る者に意思を伝えられる能力がある時に

予め伝えておくことが必要だと思います。

 

日本では身元引き受け人がいない高齢者が急増しています。

不景気で未婚者も増えいます。

長寿社会と単身社会が重なって今後もっと身寄りのない高齢者が増え続けていくと思います。

後見人制度がやはり必要です。

 

意志がなくても意味がある命にするために。

 

 

そのようなことを改めて考えさせて頂いたNさんに心から感謝致します。

私の心の中でSさんとのやりとり、経験がずっと生き続けることと思います。

本当にありがとうございました。

辛いことも多いですが、

実は辛いことばかりですが、

この仕事、そして Sさんと出会えて良かったと思っています。

 

 

No man No cry.