こだわり
発達障がいのある児童・成人の気になる問題行動の一つとして『こだわり』があります。
『こだわり』は本人にとって、うまく生活するための手段でもあれば、
進歩の妨げの原因にもなりうるようです。
支援者としてこだわりをもつASD(自閉症スペクトラム症)の子どもと関わる時、
よく考えることがあります。
それは、この子の『こだわり』をどこまで発見できているかということです。
『こだわり』は『志向が強い』ことを意味するようですが、
『柔軟性が乏しい』と判断されることは、本人以外の他者・他児との何かしらの共有が必要とされている場面に遭遇しているからでしょう。
例えば、
靴を変えない。
おもちゃや本の位置を変えない。
ご飯とおかずの食べる順序を変えない。
決まった場所ばかりを好む。
同じ遊びをやめない。
同じものばかり食べる。
ASDの子どもたちにとっての『こだわり』は多種多様で、一人一人それぞれ違います。
この『こだわり』はもちろん定型発達の子ども・大人にも もちろん存在しますが、
ASDの方たちはその程度が社会通念の一定基準を超えているため、
『異常』と判断されるんですね。
『こだわり』は個人としての運動機能や生命維持機能による評価付けでなはく、
共存・共有機能に関する尺度から評価されているので、
本人と一緒に過ごしている相手によって『こだわり』かどうかの判断も異なりますし、
本人が過ごしている場所や目の前にしている物の特性によって『こだわり』の出現頻度や程度も左右されるべきものでしょう。
となると、関係者の目に見えるもの・心で感じとれるものがASDの子の『こだわり』だと考えてしまうことになると思います。
それはあまり良くないことだと思います。
『こだわり』=『行動』ではなくて、
『こだわり』=『認知』であるからです。
『こだわり』に関連する用語として『こだわり行動』、『常同行動』、『儀式行動』、『強迫症状』など様々あります。
『こだわり』そのものを『目に見えるもの』として意識すれば上のような用語が当てはまる児童の様子が浮かびます。
しかし、行動を①変えない②やめない③始めない原因は何でしょうか?
行動そのものが原因であり、症状でしょうか?
グレーゾーンの子どもたちの学習面を通じて、算数の問題の解き方、字の書き方、出来事の覚え方においても、問題に対して取り組むための戦略に『こだわり』を認めるケースが多々あります。
算数という数字に特化した課題の中で、徐々に増え出す公式に適度な経験量を与えることや
本当の意味で本人に『分かった!』と認識してもらうことが大切だと思います。
頑張る方法はいくらでもあると思います。
他にも方法がある中で、『こうしたからできたんだね!』
じゃなくて、
『こうやっても、そうやっても同じ答えだね。』『こういう意味だったんだね。』と課題を通じて、課程に適度な変化と結果に統一を与えて、規則性を伝えることがASDの子どもたちにとって大切な支援だとボクは思います。
『終わり』にインパクトを当てるのではなくて、辿り着く迄の『間』を楽しめるよう支援することが大切だと考えています。
算数の問題を10問、20問とたくさん頑張ってもらうのではなくて、
目にしている課題に対して理解する深さを調節できるよう頑張ってもらいたいです。
1+1は2が正解ですが、意味していることは2でなく、1に1を足せば2であるということ。
でも、2は1+1ばかりを意味しないこと。
この裏切りの気持ち悪さが数字の性格でしょうか。
数字と子どもと支援者の3人で、できればうまく付き合ってもらいたいです。
正解が分かることより、意味そのものが少しでも分かるようになれば、
『こだわり』が強いと見られている子どもたちは
もっと共存しやすくなるのではないでしょうか?
Don’t let me down, don’t let me down, please.