なんで待つことが大切なのか?
写真はkids(児童デイサービス)のおやつタイムの一場面です。
児童が頑張って作った熱々のスイートポテトに風を吹かせて冷ましている様子です。
なぜ冷ましているのかというと、
この子が猫舌だから・・・・
スイートポテトが焼きたてで熱いから・・・
それも理由ですが、意図しているのは『待つこと』に対する行動法のお勉強です。
スイートポテトが焼き上がるなり、この子はじーっとポテトを見つめていました。
なんで見つめているのだろう?と思って聞いてみると、
『熱いんだよ。』と。
冷めるために待っているのか、熱くて食べれないから待ってしまっているのか・・・。
でも、とにかく待てるんですね。
目的のある待機は行動において大切な能力の1つだと思います。
それができるようになったこの子、確かに伸びています。
でも、多動な特性は少ない子です。
(知的障害を伴う自閉症という表し方が適切だと思います。)
もともと待つことが苦手かというとそうではないと思います。
多動な特性がある児童において待機は試練ですが、
自閉症と診断されている児童に対して待機を課題にすることは慎重にすべきと思います。
自閉症の場合、待機の時間中に自分の内なる感覚に没頭してしまうことが多いからです。
知的障がいを伴う自閉症の場合、『待つ』という場面ごとの微妙な目的の違いを読み取ることが難しくて、待たされている時間が自分の外ではなく、感覚から自分の中へ深く入り込んでしまうことが多いように思います。
子どもたちに対して大人の『ちょっと待って。』という声かけ。
多くないでしょうか?
子どもが発達にハンデを抱えているか、そうでないかに関わらず、
”待たされている子”は多いと思います。
待ってほしい大人のココロが読みにくい子どもたちが待たされる場合、
その子は一体どんな気持ちで待つのでしょう?
ずーっと蛍光灯の光を眺めたり、機関車トーマスの声を真似したり、体を揺すって遊んだり、
指をさすったり、しゃぶったり・・・。
『待つ』という課題が待たせている相手を観察したり、
本人にとって次に必要な行動を計画するために考える時間へと換えられるのではなく、
ただ自分に没頭してしまう時間になり、
その時間が『待たされる』以前の周りの人や活動からコースアウトしてしまう機会にもなっていると思います。
この子はスタッフの提案で『スイートポテトが早く冷めれば、早くおやつが食べられる。早くおやつが食べられれば、先生と好きな絵本を読む時間が長くなる。』という動機付けで、下敷きを団扇のかわりにして、扇いでスイートポテトを冷ます行動に切り替えました。
もちろん この提案がベストな行動学習なのかどうかは断定できません。
得るために待つことは大切な能力です。
でも、待つことを自らの計画で短くすることができるならば、
それもまた能力の向上だとボクは思います。
ハンデを抱える子どもたちは、本当に待たされることが多い生活を強いられていると思います。
待たせているのは職員・家族・友達だけでなく、社会的な規模の大きさだと感じます。
『待てたからえらい子!』、『頑張って待つことが出来たね!』と褒めるだけじゃなくて
支援者として『待つ意味』をきちんと理解してもらえるよう説明することが大切です。
支援者自身が子どもたちができるように『待つ』ことはとても大切だと思います。
子どもたちを支援者が待つこと。
子どもたちを支援者が待たせないこと。
大切な心得にしています。
Wait, oh yes wait a minute mister postman
Wait, wait mister postman
You gotta wait a minute, wait a minute
You gotta check it and see, one more time for me