サリーは外国人ですか?
人には他人の心を推測するための機能として
『心の理論』という機能があるといわれています。(チンパンジーにもあるそうです)
この機能を子どもが獲得できているかを問う課題として、
『サリー・アン課題』というテストがあります。
subaco study(児童発達支援・放課後等デイサービス)でもこの機能に対して、課題を子どもたちに提供しています。
テストと言っても簡単です。
写真のような課題をみせて、『サリーがビー玉を手に入れるためにどちらのカゴをあけるでしょうか?』と問う課題です。
子どもがサリーの視点に立つことができれば、サリーのカゴだと答えますが、
サリーの視点に立って推理することができなければ、アンのカゴだと答えてしまう。
そういう課題です。
つまり、『他の人は自分とは異なる信念に基づいて動いていることがある』ということを理解できているかをこのテストの結果により検査できるというものです。
先日、受講したセミナー(日本インリアル研究会:講師は里見恵子准教授)で、この課題が取り上げられていました。
セミナー中、子どもがこのサリー・アン課題を行なっているビデオを拝見しました。
そこで、ボクは『そうか!そうくるか!』と思ったことがありました。
このテストを受けている子どもがテストを与えている先生に言った言葉です。
『サリーは外国人ですか?』
テストを与えている先生は『そうだね』と答えていました。
勿論、そう答えて良いと思いますし、ボクも同じように答えると思います。
ただ、この子はそこが気になるのか!そこを聞くのか!と関心を抱きました。
テストを受けている子は自閉症と推定されている子でした。
このテストは『心の理論』という認知機能が獲得できているかを問うものであり、
『自閉症かどうか』を問うものではないんですよね。
ボクも子どもたちや成人の方に検査・測定を行なってきましたが、
行なっていて思うことは結果ではなくて、どのように解いたか・測られたかが子どもの機能を分析するために大切な情報だということです。
この子はこのテストを受けて『サリーがどこの国の人なのか?』と気になってしまうのです。
検査をしている大人側はこのテストで子どもに答えてもらいたい内容は1つなのですが、
ビデオの中の子どもは、それ以外のことが気になってしまうのです。
大人が子どもに気にして欲しいことは1つなのに、
子どもはそれとは違うことが気になったり、2つ3つ増えてしまっているのです。
これってすごく大変なことだと思いませんか?
これってとても重大なことだと思うんです。
ビデオの中の子は目の前の先生が『そうだよ』と返答して、答えを教えてくれたので、
続けて先生の質問文を聞くことが出来ました。
そして、この子もこのテストの本質の問いに対して答えることが出来ていました。
(しかしながら、白いカゴだと答えていました。)
日々、思うことは自閉症であろうが、ADHDであろうが、
子どもは障がいがあっても、なくても、大人であるボクたちが思いつく以上に
たくさんのことを考えているのですよね。
止まって動くはずもないプラレールを片手で動かせば、まるで宇宙を走っているように感じてみたり、砂漠の上を走らせているように感じたり。
子どもはだれだって、それほど自由性を備えているということをボクたち大人は覚えておかないとならんのですね。
そして、大切なことは自閉症の子どもたちはその特性が少々強いということです。
気になったことを抑えるという機能そのものが難しいんですね。
このビデオの中の子どものように自閉症やADHDの児童に特別に配慮してこのテストを行なうのであれば、
『サリー』『アン』という名前は用いずに、『左側の子』と『右側の子』と説明しても良いのだと思います。
しかしながら、それでは『サリーアン課題を行なったことにはならない』と他の先生に言われてしまうかも知れません。
でも、大切なことは何でしょうか?
『事実』ではないでしょうか。
この子は学校でどうなんだろう?
どんなことに、つまずいてしまっているんだろう?
例えばこのような質問です。
『サリーが鉛筆を3本買いました。アンから2本もらいました。サリーは何本の鉛筆をもっているでしょうか?』
答えはいくつですか?
鉛筆の数という意味の答えは5つ。
質問者がもとめる答えの数は1つ。
ビデオの中の自閉症の子が感じとる問いの数は2つ?3つ?
(サリーって外国人?アンはだれにあげたの?右手に3本で左手に2本持っています!)
他に気になることを教えてくれる人がいない不幸。
他に気になることを聞く手段をしらない不幸。
他に気になって、問われている質問に到達できない不幸。
そんな不幸をふこう。
なるべく世界がスッキリと見えるように。
自閉症はバカなんかじゃないんだぞ。
ADHDはナマケモノなんかじゃないんだぞ。
それでも頑張って生きていくしかない。
勉強しなきゃいけないよ。
人である以上、
平等に。
でも
特別に!
I’m just a child of nature
I don’t need much to set me free
I’m just a child of nature
I’m one nature’s children
Child Of Nature – The Beatles