力持ちの支援。
頼りがいのある支援者ってどんな人のことでしょう?
例えば、高齢者の入浴介助の場合の話です。
男性80歳、体格は大柄(身長175cmで体重は70kg)
脳出血後遺症を2回発症していて、両下肢に麻痺があります。
歩行は困難で車いすで移動に介助が必要です。
立位はご本人が介助者につかまれば保持することが可能ですが、
介助がなければご本人の膝が崩れてしまい転倒してしまう状態です。
ご本人はお風呂に入りたいので、ヘルパーさんを求められています。
ヘルパーさんに求められる能力ってなんでしょうか?
コミュニケーションの能力でしょうか?
調理の能力でしょうか?
違いますよね。
運動の能力でしょう。
別の言い方をすれば、『力があるヘルパーさん』なんだと思います。
それでは、ADHDの子どもたちに対して、支援者に求められることってなんでしょうか?
多動についていける粘り強さと寛大さ。
不注意についていける危険察知、対応の早さ。
必要だと思います。
まず、それらが備わっていれば支援は成立するのではないかと思います。
しかしながら、『自立』という考えからみると、それだけでは不十分と思います。
合わせているのは支援者側であって、子どもたちではないのかも知れません。
多動傾向の児童には、支援者が刺激を適切に減らすこと。
不注意傾向の児童には、支援者が刺激を適切に強調すること。
これが必要だと思います。
立つ力が弱い利用者には、支援者の立つ力(筋力)がさらに必要になると思います。
注意する機能の弱い子どもには、支援者の注意する力がさらに必要になると思います。
前頭葉の機能が弱い子どもたちの発達を促すためには、
ボクたち支援者側の前頭葉を鍛える必要があると思うんです。
ボクらが、
もっと、もっと、手前から予測して、
もっと、もっと、奥まで計画して。
もっと、もっと、もっと、悩んで決定して。
子どもたちが自分でつかみとったように。
遊べる子どもになって欲しいんだな。
人生を楽しめる大人になって欲しいんだな。
適切に♪
Oh there been times that I thought I couldn’t last for long
But now I think I’m able to carry on
It’s been a long, a long time coming
But I know a change gonna come, oh yes it will
A Change Is Gonna Come 〜 Sam Cooke 〜