勉強する理由。

『いつまでテレビ見ているの!』
『あそんでばっかりいるんじゃない!』
『勉強しなさい!!!』
子どもたちを教えている大人の私たちにとって、
決して縁のない言葉ではありません。。。
幼少時は勉強することを勧められて取り組んでいました。
勉強ってなんでしょうか?
宿題をすませることだと思っていました。
テストで良い点数をとることだと思っていました。
学校に入学するためだと思っていました。
資格をとるためだと思っていました。
ところが、大人になってみてどうでしょう?
勉強することから離れられた生活ができているでしょうか?
就職したらば、報告書や企画書、お便りを書いたりします。
もう少し、きれいな文章・言葉で自分の思いを表現できるようになりたいと感じます。
子どもが生まれたらば、お金や時間がさらに必要になります。
もう少し、足し算・引き算だけではなくて、微分したり、定理をもとにして考えるようになれればと感じます。
ニュースを見たらば知らない言葉が飛び交います。
政治・経済の基礎について、いまさら人に聞けないような気持ちになることがあります。
自分が生きていくということは、
自分がやりたいことをやるだけではなくて、
自分が周りについていくことも大切でしょう。
むしろ、社会人になって
自分がやりたいことをやるために必要なものは
周りからの信用なのだと感じます。
やりたいことをやるのではなくて、
やりたいことをやらせてもらう。
それが現実社会なのではないでしょうか。
自分が周りを理解するために、
自分が周りから理解されるために、
必要なものがあるでしょう。
それは言葉であったり、手先の器用さであったり、社会的常識であったり。
完全に勉強したと思っていても、
いつも社会は動いていて、
今日知ったことは、日が過ぎれば古くなります。
知らないことを知っていく働き、
分からないことを理解する働き、
いつも人として、共通できる力を維持していく働き、
そのような働きが『勉強する』という意味だと思うのです。
知らないことが あります。
分からないことが あります。
知ったり、分かったりすることで
自分が新しくなったように感じること。
自分が社会の中で広がっていく喜びを
子どもたちに与えられるような場所を目指して。
明日もまた一日が始まります。
今日はまだ知らない明日です。
I see trees of green,
red roses too.
I see them bloom,
for me and you.
And I think to myself,
what a wonderful world.
Louis Armstrong – What a wonderful world