大阪市天王寺区・西区の
児童発達支援・生活介護「スバコ」

怒ってしまう時。


今日はずっと笑っていましたか?

怒らずにいられましたか?

 

朝に子どもを布団から引っぱり出す時から怒りが始まったり。。。

なんとか今日は機嫌よく起きてくれたとしても、

朝ごはんの食べる遅さや汚れ方に怒ってしまったり。。。

それには我慢ができたとしても、

着替える遅さに耐えかねて、

ついに怒りが噴火してしまったり。

 

怒らないでいようとしても、

頭の中では必死に我慢をしていようと思っていても、

思い通りにならない場面を目の前にすると、

どうしても怒りを抑えられないのはなぜでしょう?

 

 

本当は怒りたくないんだよ。

できれば、子どもが自分でできるように手伝ってあげたいし、

できる限り、口出しせずに待ってあげていたいと思ってる。

明日は優しいママ・パパでいるんだと昨日、自分に約束したはずなのに、

今日も守れなくてごめんなさい。

 

 

でも、謝らなくていいんですよ。

自分が情けないなんて思わなくていいんですよ。

 

親を怒らせている原因は『子ども』ではないのです。

本当の原因は親という『立場』だと思うんです。

 

『立場の違い』が自分と相手との『気持ちのズレ』を生んでいるのでしょう。

それに気づいた時、『怒るべきでない出来事』だと少し理解できるように思えませんか?

 

例えば、

南国で生活する人が感じる雪は、北国で生活する人が感じている雪とは異なるでしょう。

北国で生活する人の晴空は、南国で生活する人にとっての晴空は異なるでしょう。

 

雪とは何か?

晴空とは何か?

 

理科の授業の『枠』で知る意味は同じだとしても、

立場の違う人という『枠』で感じる意味は異なります。

 

自分が知らないことを知ることができれば、分からなかったことが解けるかもしれません。

子どもを怒ってしまう私たち大人は子どものことを知らないのでしょうか?

自分のお腹から生まれた子どものことを知らないのでしょうか?

そんなことありませんよね。

 

 

自分と子どもは一緒なんだ!

二人で一つなんだ!

 

 

子どもがケガをして膝から血を流した時、

親である自分の膝からも同じように痛みを感じるくらいに

一緒の存在だと感じる気持ち。

それが親である証拠なのでしょう。

 

でも、その証拠が自分の子どもは自分ではないという感覚を鈍らせているのかもしれません。

自分はこの子の親であって、

 

この子は親ではない。

だから、この子は自分ではない。

自分は親という立場から、この子を見ているんだね。

この子は子どもという立場から、親である自分を見ているんだね。

 

親と子ども。

 

立場が違う限り、気持ちは一つにならないさ。

同じ気持ちになったとしても、それは同じ気持ちが二つあるだけで、

気持ちが一つになんて、なるはずがないさ。

 

でもね、

いつか、親の気持ちが分かる時がくるはずさ。

それは、この子が親の立場になった時。

 

いつか、この子が親になって、

おばあちゃん・おじいちゃんになった私たちの前で、

自分の子どもに怒った時に教えてあげよう。

 

『立場が違うことに気がつきなさい』と。

 

『親を演じて、叱りなさい』と。

 

 

 

 

Say the word and you’ll be free
Say the word and be like me
Say the word I’m thinking of
Have you heard the word is love?
It’s so fine, it’s sunshine
It’s the word, love

The Word-The Beatles