感覚で伝えるということ。
あなたが人に何かを伝えるとき、
あなたはどのような手段で伝えますか?
例えば、『ふざけていないで、きちんと宿題をしなさい!』という思いを、
子どもにどうやって伝えますか?
声の大きさや声色や語を工夫して、叱るように伝えますか?
鋭い目つきで睨みますか?
机をドン!と叩きますか?
はたまた、きちんと出来たらご褒美をあげる約束をしますか?
色々ありますが、
これらは全部、子どもの目の前にあるモノについては考えを触れていませんね。
子どもが頑張れないのは、先生が励ましてくれないからではないと思います。
先生が強く注意して、子どもの気持ちを抑えてくれないからではないと思います。
子どもが見ていること、聞いていること、触っていること、動いていること(止まっていること)、これらと子どもの能力との折り合いがついていないこと。
それがほとんどの原因です。
子どもの目の前だけで、先生が子どもに対して頑張っている姿を見せているだけでは
アカンのです。
宿題を魅力的なものにする努力。
宿題を行なう環境から入力される感覚を交通整理する努力。
これが大切なのだと思います。
忘れてはいけないのが、ボクたち支援者も道具の一つです。
ボクは しゃべる道具にならないよう務めています。
ボクがしゃべってはアカンのです。
子どもが目の前にしているモノと『おしゃべり』できることが肝心なのです。
たくさん語りかけてくれるもの。
分かりやすく語りかけてくれるもの。
それを聞こえやすくしてくれるお部屋。
それを見やすくしてくれる灯り。
それに対してボクらができることを考えるべきだと思います。
この子らを支援することがボクたちの『生き甲斐』であっても、
ボクたちの直接の手で支援されることがこの子たちの『生き甲斐』になることは、
ちょっと悲しいようにボクは感じます。
いつか、ボクたちの手から離れて飛び立てるように、
その時は互いが幸せに。
だから スバコ.
そんな スバコ。
口で言うは易し。
日々、勉強です。
厳しくもなる時がありますが、それもまた吹く風でしょうか?
悔しかったら 頑張ろう。
学べば、きっとうまくいく。
支援する側が変われば、子どもは変わる。
子どもが変われば、支援する側も変わる。
支援者とは何か、
提供者に違いありません。
良いモノを提供しましょう。
写真は紙谷先生がりょーた君に作った手作りのおもちゃです。
子どもがかんじたことが全てです。
ボクらはそこからどのようにこの子が感じて動いたかを考えます。
心で感じたりはしません。
考えて、今の生活、先の将来につなげるばかりです。
それがsubacoの役目であると考えています。
Raise the sky.
We got to fly over the land, over the sea.
Fate unwinds and if we die, souls arise.
God, do not seize me please, till victory.
Patti smith-till victory