春はあけぼの
〜 春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて
むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる 〜
春が今年もやってきた
春といえばなんだろう
桜、お花見、入学式、入社式、就職活動、、
厳しい冬を乗り越えて
幸せなムードに包まれるこの季節
友達100人できるかな?
そんな豪華な歌もあるけれど
穏やかな変化を贅沢に思うのは
この子だって
親だって
学校の授業についていけるかな?
学校が嫌いになったりしないかな?
友達とうまくやっていけるかな?
心の内にある期待は些細なもので
不安が期待を覆う時もあるのではないでしょうか
そんな春に自分が心ときめくもの
自分にとって春といえばのお気に入り
それが『あけぼの』と言い張る清少納言
文学として有名な本だけれど
春の象徴として「明け方」は代表的ではないように思う
それでも清少納言さんにとっては
春といえば「明け方」の景色であり
その素朴で細やかな表現が
豊かな感受性として現代にも継承されているのでしょう
誰もが見ている場所
誰もが過ごしている場所
そんな場所なのに
この子にしか見えないものがあり
この子の心しか動かさない景色がある
それをこの子が外の世界に表した時
あっと驚く世の中がある
算数の始まりだって個々の子にとって
それぞれに自然な場所があるのだろう
数を言葉で文字にする驚きだって
詠み人知らずの唄かもしれない
1+1が2であることを分かることが正常な発達ではなくて
分かったと思えて手を挙げるよりも
分かった気がしない
すぐには分かった気になれない
今まではそう考えずに生活できていたことから
どこか納得のいかない気持ちの悪さを消しきれず
本当は間違っているかもしれない
そう思う子どもがいることも
人として尊い知の在り方だと思う
答えがあっているのに
みんなの前で手を挙げない
それだって子どもの心に宿る情けなのだと思う
対人援助技術にある評価は
人が人の能力を測ることではなくて
得られた事実によって 生きる喜びに感謝できる
創造的で芸術的な行為でなくてはいけない
生活の悩みから障がいの原因を仮説し
検査の結果から主訴を紐解いていくこと
そんな単一科学的な支援ではなくて
この子の立場から見れば
この子のお母さん・お父さん・兄弟の立場からすれば
成り立っている現象に
多くの人々が感動し、救われる
そんな支援が新時代の常識になると
ボクらは信じる
山際は山なのか?空なのか?
夜明けは夜なのか?朝なのか?
不明瞭な場所にこそ
現れやすい変化を発見し
その価値を認識できる人の心があります
はっきりしないからこそ揺れ動くものに
寄り添う仲間が増えた春
新入社員としてsubacoご利用者様・ご関係者様には
至らぬ点があるかと存じますが
この子らが世の光になれるよう
当事者様と二人三脚で精進していく所存です
何卒 宜しくお願い申し上げます

A crowd of people turned away
But I just had to look
Having read the book
I’d love to turn you on
The Beatles -A day in the life