理解の大きさ。
雨じゃないのに長靴をはく子ども。
雨なのに外のお花に水をあげる子ども。
なにか変ですよね。
では
なにが変でしょうか?
晴れなのに長靴をはくという行動。
雨で濡れいる花に水をあげるという行動。
『行動』が変なのですよね。
『晴れ』という条件に対する行動が誤っている。
『雨』という条件に対する行動が誤っている。
つまり、条件的行動が成立していないということです。
それは『行動』の問題かというと そうでもないようです。
どちらかというと『条件』についての『理解』が問題です。
どういうことかと言いますと、
『条件』の『意味』を『理解』せずに『行動』を一つの『パターン』として『記憶』しているのです。
これは自閉症の問題ではなく、『知能』が主な問題とされています。
例えば、明日あなたは朝の6時30分の電車に乗らなければばならないとします。
今は夜の9時です。
あなたは何を考えますか?
『朝の5時に起きれば間に合う』
『いつもより早く寝よう』
『朝ご飯はパンでも買っておこう』
『犬の散歩は他の家族に頼もう』
そんなようにいくつかの『行動プラン』をたてませんか?
この『行動プラン』は自然に誰でもたくさん思いつくものでしょうか?
また、思いついた幾つかの『行動プラン』の中から最適なものを選択することは
誰しもが迷わずにできるでしょうか?
これらは『知能』として脳の前頭前野という場所の機能と言われています。
発達障がいの子どもが友達との関わりの問題として
『言われた言葉をまにうけてしまう』ということを耳にされませんか?
友達に『バカじゃないの?』といわれて『自分はバカじゃない!』とまにうけて、喧嘩になったり、引きこもってしまったり。
これも、もしかすると『バカじゃないの?』と言われたことに対する『行動プラン』の数が少なかったり、適切なプランを選択する力が弱いという原因があるのかもしれません。
では、『行動プラン』の力をどうやってきたえるのか?
これが肝心な療育です。
その子が理解の大きさを大きくできるか・・・・これも見るべきポイントだと思います。
つまりどういうことか・・・。
晴れなのに長靴をはく子は、『靴をはく』という小さな理解はできているのです。
でも、どうして長靴をはくのか?という大きな理解ができていないのかもしれません。
雨なのに花に水をあげる子は『お花には水やりが必要』という小さな理解はできているのです。
でも、『雨が降らないから水やりが必要』という大きな理解ができていないのかもしれません。
朝の6時30分の電車に乗るということはどういうことか?
『バカ』とは何か?
それらについて、小さな意味は分かっても、大きな意味が分からなければ、
相応しい行動がとれないんですよね。
だからこそ、特別な支援が必要です。
詳しい聞き方、答え方ばかりが良くもないんですね。
子どもの特性に応じた課題が必要ですよね。
乳牛は喉が渇いても、牛乳は飲まないんだな・・・。
Let’s subaco study.