発達に大切なものって?
昨日の晩は大阪自閉症研究会のセミナーに参加しました。
岩城先生(大阪府立精神医療センター)が講師で発達障がい児の学童期に関するお話をされました。
スバコの子どもたちは幼児期・学童期が中心です。
学童期が7割くらいです。
岩城先生は学童期を・低学年・中学年・高学年の3つに分けて話されました。
(小学1年生と6年生の発達の差はとても大きいですもんね)
先生は各段階にそれぞれのテーマを話されていました。
本当に勉強になるお話しばかりでした。
ボクが日々考え悩んでいることのヒントがたくさんありました。
特に中学年の問題は考えさせられる毎日です。
それぞれの子どもにもよりますが、療育を行っていて特に子どもや保護者さんが不安定になる時が10歳ごろだと思います。
10歳の壁と言われるやつです。
不安定になる原因を探ってみれば実はハンデをもつ本人が壁ではなくて、
周りが壁になっているケースがほとんどではないかと思います。
10歳って定型発達では色々なことが『分かってくる頃』なんだと思います。
その『分かってくる』というのは二桁の足し算やかけ算、漢字だけではなくて、
他の人にも自分と同じ心があるという発見もあります。
発達というものは連続的なのか、不連続的なのか。
そういった議論も含まれる問題だと思います。
9歳から10歳という流れるタイミングで次に続く発達課題がクリアーできないのか、
10歳で生まれる発達課題がクリアーできないのか。
発達は個人の内因的なものであれば連続されるものとして考えても良いように思いますが、
不連続的な発達こそ外因的なもの(環境が個人に働きかけるもの・またその逆)であるように思います。
例えば身長が伸びたり・声変わりしたり、これは連続的な発達でしょう。
でも、他者に心(意識)がある存在として理解したり、目には見えないルール・常識を理解したり、遊びを発展させていくことは連続的な発達ではないかも知れないと考えるこの頃です。
特に知的な学習面こそ不連続な考えは強いのではないでしょうか。
『子どもをほっておいても賢くならん!』
だから塾に通わせたり・家庭教師を読んだり。
連続しない発達課題と認めたからこその判断ですよね。
発達障がいの場合、子どもがつまずいている発達の課題は、不連続的なものなのか、連続的なものなのか、じっくり考えてみる必要があると思います。
他の子どもや先生のふるまいに対して、自分がどう行動すべきかを支援したり、
自分が求めることを他の子どもや先生に対してどう働きかけるべきかを支援したり、
環境と相互作用を重視して 発達の溝にはまってしまっている子どもたちに手を差し伸べることが大切だと思います。
それらは全て『遊び』の中にあるんではないかとボクらは考えます。
今日もスバコキッズ(児童デイサービス)は笑い声と泣き声でいっぱいです。
扉がドッカーンと開く音、積み木がガッシャーンと崩れる音。
ホットケーキが焼けた甘い匂い、チーズトーストがオーブンで焼き上がる香ばしい匂い。
子どもたち自身の力で感じること。
さぁ、笑おう。
さぁ、歌おう。
なるべく みんなでね。
なるべく でいいからね。
Cause we’re alone now and i’m singing a song for you.