目で見るよりも深く、広く。
OTの河口先生と児童が卓球に取り組んでいます。
なかなかラリーが成立しません。
なぜでしょうか?
児童の理解が問題なのでしょうか?
児童の情緒がもんだいなのでしょうか?
なぜラリーが成立しないのか、もう少し詳しくみて考えてみましょう。
球のバウンドの仕方について、速度(時間的)や距離(空間的)の関係について、
規則的に処理することが難しい。
自分を1人称、球を2人称として考えたとき、1人称のイメージが大きくて、細かな調整が難しい。
ラケットにボールが当たるとき、目はどこにあるのでしょうか。
目は顔にあります。
確かにその通りです。
でも、目は目でしかありません。
目はレンズとスクリーンであり、このスクリーンでは像が反対に映るほど 不完全な道具です。
確かに見ていると感じているのは脳であり、
目に映っているものを解釈しているのは脳のさらに中です。
目という道具や脳の中でも単箇所だけで見ているだけなのであれば、
この球の速さや距離など微妙な変化に対応することは間に合わないのですね。
脳の中でどのように見ているのかが肝心です。
目にタオルを当てられて目隠しをされていても、
脳の中で視覚情報を処理する場所に目隠しをされていても、
『見えていない』ことには変わりありません。
『見ていない』ではなくて、
『見ることができていない』という意味、
『ただ見ることしかできていない』という意味です。
見ているだけでは出来ないんですね。
見ていることをもう少し脳の深いところまで押し込まないと運動にまで届かないのですね。
もっと、もっと見たこと、感じたことを
もっと脳の真ん中で、
もっと脳の全体で。
それが感覚統合です。
ほぼ毎週、勉強会を行っています。
知れば見て気づくことも増えるでしょう。
気づけば関わり方も増えるでしょう。
優しさ・厳しさだけではなくて、
感覚栄養 満点の遊びを彼と。
What we know,and what we don’t know yet.