大阪市天王寺区・西区の
児童発達支援・生活介護「スバコ」

自分を動かす感覚


なかなか身の回りのことを覚えられない子どもたち。

いつも怒られて怒られて大変です。

 

『なんど言ったらわかるの?』

『もー忘れたの?』

『覚える気あるの?』

今日も注意されている子どもたち。

そんな子どもたちに必要なトレーニングはなんでしょう?

ボクたちには『思い出す』という力があります。

『6のカードをとって。』

『次は4のカードをとって。』

『それでは、4の前にとったカードをとって。』

「んーなんだっけ?わからないよ。」

分からない理由はなんでしょう?

思い出せないからでしょうか?

それでは思い出すということはどういうことなのでしょう。

 

言い換えれば、どうして思い出さなくても生活していくことができたりするのでしょう。

 

今日の晩御飯はカレーライス。

そのことで、昨日の晩御飯もカレーライスだったことを思い出す子もいれば、

今日のカレーライスにだけ喜んで、昨日も同じであることを思い出さない子もいるでしょう。

それでは、思い出さなかった子に聞いてみました。

『昨日の晩御飯は何を食べたの?』

「 カレーライス!」

『今日と同じだね。』

「あ!ほんとだ!」

 

 

どうやら思い出せなかった子も思い出せました。

『なんど言ったらわかるの?』と注意されることが多い子どもでした。

 

どうしてこのような違いが生じるのでしょう?

 

記憶力の問題でしょうか?

それだけならば、尋ねられて思い出せることは不可解です。

 

私たち人間には主体(agency)という感覚があります。

主体とは何か?例えば、このような質問で説明してみます。

『昨日の晩御飯を思い出したのはだれですか?』

「自分です。」

『それでは思い出させたのは誰ですか?』

「自分です。」

「ボクは自分で思い出せなかったので、質問してくれた先生です。」

 

確かにそう思えますが、本当にそうでしょうか?

 

思い出したのは自分でしょう。

でも、思い出すことを命令したのは自分・先生でしょうか?

それならば、自力で思い出せた子は、

思い出せなくて先生が質問したように思い出すことを意識したのでしょうか?

 

思い出してしまったのではないでしょうか?

 

となると、

思い出させたのは自分ではなくて、

カレーライスそのものかもしれません。

 

 

自分がしたことを私たちは全て自分で決めたり、考えて、命令して動いていると思っています。

でも、これは錯覚かもしれません。

私たちの主体(自分の行動を自分で支配しているような感覚)は自分の行動を適切にするために備わっているのではなく、

他人の行動に対して警告するために備わっているのだと考えられています。

何もかも自分で自分のスイッチを押して動いているのではなく、

人を動かしたり、物を動かすために、相手のスイッチを押すことで、

自分にも同じようなスイッチがあることに気づくのでしょう。

 

そして、自分にもスイッチ(主体)があることを知り、他人にも動作の主体があることに気づき、相手の行動や言葉の意図を読み取ることができるのでしょう。

 

自分で自分を支配するためには、

他人に注意できる自分になって初めてできることになるのでしょう。

 

『なんど言ったらわかるの?』

 

言わせているのはだれでしょう?

言っているのは誰でしょう。

言いたくないのであれば、

言わせてあげましょう。

子どもたちに!

 

そんな教え方があります。

 

subaco switch

 

少し変わった事業所ですが、少し新しい事業所です。

くじけずに変えていきましょう。

どんなに今が大変でも、

未来のほうが長いのですから。

 

 

 

 

Day after day alone on the hill
The man with the foolish grin is keeping perfectly still
But nobody wants to know him
They can see that he’s just a fool
And he never gives an answer

The Fool On The Hill : The Beatles