良い環境で良い活動を。
11月も半ばになりました。
急に寒くなってきましたね。
そろそろコタツとミカンを準備して・・・なんて言っていられないほどの忙しさです。
subaco study(学習支援室)の準備作業に追われております。
着々と準備は進んでおります。
確かに忙しい毎日ですが、『辛い』と感じないことが不思議です。
晩ご飯を食べる時間が無かったり、
仕事が終わって終電があるだけでラッキー。
子どもの寝顔を見れるだけで幸せを感じます。
subacoを開設するまでは、
『忙しさの終わり』を探すような働き方をしていたような気がします。
今はこの『忙しさ』に対して、少し考え方が変わりつつあります。
石川啄木の『一握の砂』の中に有名な歌があります。
『はたらけど はたらけど猶 我が生活 楽にならざり ぢっと手を見る』
初めてボクがこの歌をよんだのは中学生の頃でした。
その頃は全く共感が生まれませんでした。
『厳しい人生を生きた人なんだなぁ〜』と思うくらいでした。
啄木の生涯を知っても いまいち理解ができませんでした。
でも、最近になって何故だか この歌がどこからとも無く よぎります。
今が辛い、厳しいというわけではないんです。
大人として この歌にそっと励まされている そんな気持ちです。
啄木の没後に刊行された歌集『悲しき玩具』の中にこんな歌があります。
『何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る』
子どもたちは今夜、どんなことを考えて布団の中に入るのでしょうか。
目覚めた朝の初めに何を思うのでしょうか?
ボクらはセラピストとして、支援者として、まだまだ子どもに近づいていないのでは。
知ったように思うことほど寂しい関わりはないのでは。
子どもたちは常に教わるべき対象ではなくて、
自ら探索して『生きる』という経験を楽しみ学ぶ権利がある存在だと信じています。
支援者のボクらが子どもたちとその保護者にできること。
subaco study.
発達障がい児の高次脳機能について、課題を通して向き合う環境です。
何と向き合うのか?
人と自分と、自分の脳と。
自分のことを適度に知ることが出来れば、『叱りて眠る』夜もそう辛くはないのかな。
今のボクはそう思っています。
おやすみなさい。
Sing it with me
If it’s just for today
Maybe tomorrow, the good Lord will take you away