親の気持ちが分かる時。

子どもに早さを求めることが多くありませんか?
『早くしてよ!』
『いつまで待たせるん?』
『もうママ、先に帰るから!』
星の数よりも多く口にしているかもしれません。
・・・・いつも、おこってばかりでごめんね・・・・
静かになった子どもの寝顔を眺めて、穏やかな気持ちになりませんか?
そうです。
本当は優しいママ、パパなんですよね。
愛情があるから叱ってあげられるのでしょう。
子どもと親である自分が2人で1つの存在だと思えるために、
『我が子を待つ』ということができるのでしょう。
それでも、親の意識が向かう先は『ママを待たせている子ども』だけではなくて、
『子どもに待たされているママという自分』にもあるのですよね。
私たち大人は自分に『感情』があるということは認識していますし、
その感情の状態をはっきりと顔・身振り・声色・言葉で表すことができます。
そのような機能を道具として子どもに伝えると、
子どもも親が持っている『道具』に気がついて、自分も使えるように学びます。
『早くして!』と言われて子どもが考え、学ぶことはなんでしょう?
急ぐために必要な行動を学ぶだけではなくて、
言葉で相手の気持ちを反応させて命令する手段も学んでいるかもしれません。
『はよせーや!』
『こわすぞー!』
そのように成長してしまうこともまた問題です。
『短気』ということはどういう意味でしょう?
気が短いということ、
その反対は『気が長い』
それでは『短い』から『長い』という間で『気』はどのように働けばよいのでしょうか?
短気とは何か?
気持ちが『考える』までに届かずに行動してしまうことだと私たちは考えます。
ママと子ども。
パパと子ども。
2人で1つのチームです。
同じチームであれば、『時間』を共にするだけではなくて、
そこにある『考え』も一緒にできれば素敵だと思います。
子どもは大人のように、そして、親の立場のように考えることは難しいでしょうし、
それができるのであれば、子どもは親を尊敬してくれないかもしれません。
大人である私たちが子どもに伝えるべきことはなんでしょうか?
それは『命令』だけではなく、
『説明』かもしれません。
『早くしたほうがいいと思うよ。もうすぐ好きなテレビが始まる時間だよ。』
『一緒に靴下を履こうか?見ててごらん。こうやるんだよ。まねしてごらん。』
見つめ合うこと。
認め合うこと。
真似ること。
誰だって人生初めての親子です。
親も初めて、子も初めて、お互いが初めての関係です。
先に笑顔を見せたのはどちらでしょう?
先に笑顔を真似たのはどちらでしょう?
親が笑うから子どもが笑うのではなくて、
赤ちゃんの微笑反射が親を笑顔にしてくれます。
自分の行動を真似する親の反応から、子どもは次第に関心を親へ向けていきます。
そして、子どもは親の反応を予測できるようになります。
予測した通りの結果や、予測と異なる結果から、様々なことを理解していきます。
子どもは見ているのですね。
予測しているのですね。
私たちのことを。
ママと一緒のシャンプーを使ってみたい。
パパが履いている靴を履いてみたい。
「こらぁー!」って怒らないでね。
真似だけじゃないんだよ。
憧れているんだ。
ママやパパに。
そっくりだよね。
ボクと!
Mother, you had me but I never had you
I wanted you, you didn’t want me
So I, I just got to tell you
Goodbye, goodbye
mother – John Lennon