車いす座面にある生活
車いすのシーティングについてJournalのコーナーで述べましたが、
こちらの利用者さんを再び訪れると上の写真のようにご自分でアレンジされていました。
理由は私のシーティングでも臀部の痛みが和らがなかったからです。
ご本人がアレンジされる前の私が提案したシーティングは下の写真です。
そして、一週間後のご本人のアレンジがこちら↓
特に変わったのが上の写真の部位ですね。
細かい説明はまたJournalのコーナーでアップ致します。
今回、私がこのページでお伝えしたいことは、
”生活力”
です。
私がシーティングした写真とこちらの利用者さんのアレンジした写真。
整って見えるのはどちらですか?
私が言うのもなんですが私の方だと思います。
整然としていて、見た目きれいですよね。
しかし、生活感があるのはどちらでしょうか?
生々しさがあるのはどちらでしょうか?
人らしさを感じるのはどちらでしょうか?
私には利用者さんのアレンジした写真のように思います。
こちらのページでは難しい事、専門的な話をするつもりはありません。
私自身の反省です。
医療人とか理学療法士とか、バイオメカニクスとか、
ついつい機械的な考察で物事を進めてしまう。
理論に基づいて根拠のある介護・支援を求めるばかり、
ついつい『個』を素通りしてしまう。
それが私の短所です。
ウォールト ディズニーが言っています。
『マニュアルを超えたところに感動がある』
私は思います。
『理論を超えたところに根拠がある』
こちらの利用者さんが話されました。
『せっかく考えてくれたのにごめんね。勝手に座布団をいじったのよ。』
この言葉に私は感謝しています。
こちらの利用者さんは痛みに諦めなかったのですね。
方法を自ら探して、行動されたのです。
ご自分の生活を自らで向上する力『生活力』のある方なのです。
高齢だから、難聴があるから、少し物覚えが悪いから、歩けないから、
それが全体像を塗りつぶし、能動的な面を問いかけないでいたのです。
自らそこまで意欲のある方だと私は評価できていませんでした。
私が一回目のシーティングが完了した時に、この方の全体像に
意欲の評価を的確にしていれば、
『違和感がある場合はご自分でも調整してみて下さい。タオルや座布団が必要な時はいつでも教えて下さいね。』
等とこの方の意欲を堂々と促せる声かけが出来ていただろうに。
そして、この方も私に気を使わずにもっと堂々とご自分らしく
前向きに工夫できたであろうに。
さぁ、これからが肝心です。
もっとこちらの利用者さんとシーティングを通じて
キャッチボールしていきます。
一緒に色々と考えあっていきます。
私が座るんじゃないんだから。
訴えや考えを手かがりに、あたかもこちらの利用者さんが
自分で考え結論できたように、結果を導く。
そこには生活の快適さと達成感があると信じます。
私にだけ達成感があっても、結局、利用者さんとは
向き合っているようで、分かり合えてはいないのですね。
私の『こうだ!』は『そうだ!』じゃない。
Yes!