違和感。

納得するということは どういうことなのでしょうか?
『分かる』という動詞があります。
『疑う』という動詞もあります。
これらの動詞は『立つ』や『話す』などの身体や口の動き方ではなくて
心の動き方です。
『分かる』とはどのような状態なのでしょうか?
それは『疑わなくなる』や『問わなくなる』という状態なのでしょうか?
私たちは『感じる』という状態そのものを『感じる』ことができます。
指に針が刺さってた『痛み』を感じることができれば、
針が刺さっていない側の指の『痛み』を感じることができます。
針が刺さっていない指の『痛み』が無い理由は視覚的に針が刺さっていないという結果だけでなく、
『痛み』を探しても、見つからないということも理由であると思います。
つまり何が言いたいのか?
私たちは身体に入ってくる外からの情報を感覚として受け取って脳(心)に伝わったことを知覚するだけではなくて、
自分の脳(心)から自分の状態がどうなっているのか?
自分の心について どんな感じがするのか?
について、感じることができるんですね。
今、何か違和感はありませんか?
おさまりきらない感覚はありませんか?
その感覚の原因はなんでしょうか?
目からかな?
頚の筋肉かな?
眠たさかな?
お腹が空いたのかな?
意味を記憶する場所からかな?
そうやって原因を仮説して、違っていれば一つ一つ消して、理由を明らかにしていくことができるでしょう?
でも、感覚に弱さを持っている子どもならばどうでしょう?
違和感があっても、それが自分の身体のどこからくる感覚なのか探す能力が弱い子どもならばどうでしょうか?
周りの人から『どうしたの?』と心配してもらえても、
どうしたのか答えることに努力がいる子どもたちがいます。
自分自身に分かり辛さを抱えている子ども達を理解することの難しさ。
援助する側の『違和感』が重要だと思います。
言えない悩みがあるんだろう。
感じにくい感覚があるんだろう。
放っておいて良いものか。
調べてみよう。
ボクらと一緒に。
I’m gonna clear out my head
I’m gonna get myself straight
I know it’s never too late
To make a brand new start
Brand New Start – Paul Welle