大阪市天王寺区・西区の
児童発達支援・生活介護「スバコ」

subaco study動いています。


subaco kidsとは別にsubaco studyが5月から細々とではありますが、動いています。

 

毎週、夜な夜な勉強会です。

 

studyチームの宮本先生の支援報告メールです。

 

ゆうきくん

 WISCの検査が終了しました。理解と単語の項目の点数が低いことが分かりました。単語の意味を問う問題では、マニュアルに書かれている解答には当てはまらない答えを言っていましたが、その単語に関連している言葉を言っていたため、(例えば「時計とはなんですか」の問いに対して「朝起きる時の・・・」など)全く検討違いな解答はしていないと思いました。

 普段ゆうきくんがどのように使っているかが、その単語の意味として理解しているのではないかと思いました。

 ゆうきくんは一人で電車に乗ってスタディに来所して来ているのですが、来る途中ゆうきくんが部屋のなかにいても分かるほどの声量で喋りながら来ています。普段の関わりの中でも会話をしているなかで突然関係のないことを話しだすことがあります。このことに二つの可能性を考えてみたのですが、一つは、幼児期に見られるように、自分の思っていることを独り言のように呟いてしまっていることが考えられます。自分の心の中で話すことが出来ず声に出してしまっている可能性があります。もう一つは、私が「関係のない話」だと感じているが、ゆうきくんにとっては関係のあることを話している可能性もあります。

 動画を分析して、ゆうきくんの言葉について調べていきたいと思いました。

 

 

言語の機能とはなんでしょうか?

言葉が口から出ることで、自分の考えを他者に伝えることができます。

また、相手の考えを知るために自分の言葉を用いて聞き出すことができます。

知るための道具でもあれば、伝えるための道具でもあるのですね。

 

ではこの道具のそもそもの機能は一体何か?

『関係』という機能です。

 

 

それでは、歌うという機能はどうでしょうか?

これもまた口から出る言葉です。

メロディが加えられた言葉です。

会話に使う道具よりも、情動的な道具といえるのではないでしょうか。

 

情動的に使うということはどういうことでしょうか。

自分の気分を落ち着かせるために言葉を用いている言語的な運動ということでしょうか。

これは自分と他者ではなく、自分と自分との関係であると考えられます。

 

定型発達の人たちは歌いながら仕事をすることもあると思います。

そのような場面について、周りの環境はどうでしょうか?

 

人が大勢いる場所でしょうか?

違いますよね。

 

しかしながら、大勢の人が仕事をしている中でも歌いだしたらどうでしょうか?

きっと迷惑がられますよね。

同じ場所にいる他の人の立場を自分の視点から想像したり、他の人の視点から自分のとった行動を想像することを同時に行なうことが難しいのでしょうか。

しかしながら、歌うという活動が、自分の口から出た音声を自分の耳に入力することに関心がある行為かというとそうでもないように思います。

発声する(出す)ことに快を感覚している行為に減少を求めらているのであれば、

我慢(抑制)を課題にしているということかも知れませんね。

 

 

話は戻って自閉症を有する方の独り言についてですが、

関係的な機能よりも、運動(発散)に近いものだと思います。

関係を求めているかどうかは、その場面で観察者が明らかに感じることと思います。

当の本人は『独り言です。』とは言っていないのです。

それを客観的にボクたちがこれは独り言だと判断出来るのは、

関係を求められていないと感じとることができる脳としてボクたちが発達しているからでしょう。

 

独り言を話す自閉症の方のうち、歌が歌える方は極めて少ないという報告もあるようです。

子どもたちを目の前にしていると確かに実感できます。

言葉の一つ一つの音の調べを操ることが難しいのでしょう。

言葉のなまりも少なく、テレビの音声から発音を覚えているような方も多いです。

 

そんな彼の独り言をやめるように注意して良いものか、

これまた難しい問題です。

 

彼は歌っているのでしょう。

 

それは楽しい歌でしょうか?

悲しい歌でしょうか?

 

この子がこの子のために歌っているのだと思います。

 

だれかの為に歌うことをやめる それを彼に求めるのであれば、

どのようにしてその価値を彼に伝えましょうか?

 

 

周囲への注意機能を高めたり、自分が行なうべき行動を選択する機能を高めることが大切だと思います。

単焦点的な注意ではなく、広角的な注意だけでもなく、多焦点で多角的な注意・計画能力の向上をトレーニングする必要があるのでしょう。

そのようなトレーニングができる場所が必要なのだと思います。

 

subaco studyの役目なのだと思います。

 

しかしながら、自分が自分との関係を深めるために、自分が自分自身に語りかけているのであればどうでしょうか?

注意の問題だけでは無いように思います。

 

自分を確かな存在として認識できること、

いったい彼の中のどこに風穴があいているのでしょうか?

 

彼が歌うその場面、そこに弱さを感じさせてしまう強敵はいったいなにか?

 

彼がいるその場所から考えること、

ボクたち支援者には見えないこと、感じきれないことから、知ろうとする支援者側の気づきが大切なのだと思います。

 

 

じっくりと見ようではありませんか。

 

じっくりと。

 

何もしないということも、何かをしたということのようにも思います。

 

自閉とはそれほど考え深い世界なのだと思います。

 

 

 

 

   Just listen.