大阪市天王寺区・西区の
児童発達支援・生活介護「スバコ」

発達の基礎


201jjghjkk

発達ってなんだろう?
人ってなんだろう?

それを知るためには
発達に遅れがあったり
人と人との関係がうまくいかない子ども・成人と寄り添うことで理解できたりすることがあるように思います。
これは不思議なことです。

発達に『障がい』を感じさせるような悩みを抱える方にとって、専門的な援助を提供する立場の人には自分にはない『真実』や自分よりも妥当な『確信』を持っていると信じておられるでしょう。

でも、少し違うように思います。

正常な状態から正常である理由を知ることは誰にとっても難しいことでしょう。

発達に遅れがあったり、他の子どもや、大人との違いがあって初めて、
その『違い』から『原因』を考えることが始まります。
『原因』を考えるためには、基軸となる『仕組み』が必要です。
『仕組み』を知っているからこそ、
どこが違うか?を観察したり、検査したり、
どうして違うのかを考察して、
理想的な関わり方を設計し、提供することができるのでしょう。

『障がい』を消そうとしたい気持ちが無くなりはしないことなのかもしれません。
でも、
『障がい』という呼び方ではなくても、
『どうして自分だけ違うの?』
『どうして我が子だけ違うの?』
と思わせるような悩みや不安、絶望が無ければ、
子どもはどうやって育っていくのか?
私たちはどうして生きているのか?
を考える機会も少なくなり、私たちの社会全体も発展していかないことでしょう。

でも、当事者の方にとってそうは言われても納得できなくて当然です。
自分は題材でないのですから。

首が座らない子どもがいても不思議なことではないのです。
歩けない子どもがいても不思議なことではないのです。
お箸が使えない子どもがいて不思議なことではないのです。
指差しをしない子どもがいても不思議なことではないのです。
どうして、赤ちゃんの首が座るのか。
ハイハイをしないで、つかまり歩きをした子どもは普通じゃないのか?

板書が苦手な子どもがいます。
子どもが矯正されるべきでしょうか?
板書そのものにも欠点があるのです。

鉄道好きの大人がいます。
変でしょうか?
人には人それぞれの興味・関心が違うのです。

私たちの世の中には色んな人たち、子どもたちがいます。
それでも、構造はほとんど同じです。
腕は2本、足は2本。
心臓は一つで、脳は左右に分かれています。

同じ仕組みなのに、なぜ違いが生じるのでしょうか。
『遅れている』という解釈が本当に正しいのでしょうか。

みんな同じ仕組みだけれど、この仕組みの使い方はみんなそれぞれ違うのでしょう。
みんなが違うからこそ、同じでありたいという気持ちが芽生えるのでしょうし、
その気持ちが社会を豊かにしてくれているのだと思います。

蝶々結びができるようになった子どもがいます。
頑張りました!
この子の頑張りから学ぶことがたくさんあります。

『やりづらさ』、『いきづらさ』を抱える人たちの権利がもっと高まれば、
だれにとっても豊かな暮らしに近づくのではないでしょうか。
そんな社会に少しずつ近づいているような気がしています。
まだまだ、小さなコミュニティですが・・・。

『ちょうちょう』
ちょうちょう ちょうちょう
菜の葉にとまれ
菜の葉にあきたら 桜にとまれ
桜の花の 花から花へ
とまれよ遊べ 遊べよとまれ