おとなになって思うこと

『勉強しろよ!大人になってから困るぞ!』
ほんとかよ?
って思っていたけれど、
ほんとだな。
ボクは悪い子なんだろうか?
ワタシはダメな子なんだろうか?
そんなことないさ。
みんな悪い子なんかじゃない。
悪い子・ダメな子なんて始めからいない。
みんなそれぞれ、いいところがある。
でも、どうやって自分の良いところを人に伝えよう。
手紙を書こうと思っても、もう少し字が丁寧に書けるといいのかな。
語彙も多ければ、もう少し詳しく伝えられるのかな。
理科を勉強していれば感性ばかりを正しさの理由にしなかったろうに。
社会を勉強していれば歴史的な教訓から学んでふさわしく行動できたろうに。
でも、勉強するって大変だ。
すぐには面白く思えないんだな
一つ一つ意味を知って、それが他の一つ一つとつながって、
じわーっと味わい深いものになっていく。
小学生の時に嫌々ながらに読まされた本を大人になって読んでみると、
不思議と感動したりすることだってあるんだな。
そんな時、勉強していてよかったなって思うんだ。
字が読めてよかったなって思うんだ。
言葉をしっていてよかったなって思うんだ。
勉強しないと絶対にダメってわけじゃないとは思う。
でも、勉強していると得をすることが多いとは思う。
でも、でも、勉強しないと損を感じることも少ないのかもしれないな。
だって、自分を自分で比べたりできないし、
誰だって今の自分に自信をもつべきだから。
それでね、
大人になってもう一つ気づくことがあるんだな。
困っているのは自分じゃなくて
自分の周りにいる人かもしれないと。
自分のため以外にも勉強する目的があって、
それが自分の役割であったり、
生きている意味とか、価値なのかもしれないなぁ。
『愛があれば大丈夫』
そんな歌詞の曲もある。
べつに見返りなんて求めちゃいない。
余計なお世話って言われるかもしれないけれど、
おせっかいって言われるかもしれないけれど、
無責任とは言われたくはない。
君が大丈夫と思えても、
それでも君がこの先で何か困るかもしれないし、
自分に何か手伝えることがあるかもしれないと思っている。
ごめんなさいね。
いやいやさせたりなんかして。
たのしく、たのしく。
しんどさを、笑えるように。
『大きな栗の木の下で』
大きな栗の木の下で
あなたとわたし
たのしく
遊びましょう
大きな栗の木の下で