先生あのね。

『大人になんか なりたくない』
『ずっと子どものままでいたい』
そんなことを思ったことはありませんか?
大人はいつ大人になったのでしょう?
大人はいつ子どもを卒業したのでしょう?
きっと、誰にでもあったのだと思います。
子どもという世界。
子どもにしかない感覚や価値観。
子どもは大人のミニチュアではないし、
子どもという人生があるのでしょう。
『先生あのね』という本があります。
灰谷健次郎さんの鹿島和夫さんが編集した本です。
これは不思議な本でして、
書いたのは灰谷健次郎さんの鹿島和夫さんではなくて、
なんと小学1年生の子どもたち。
そこには子どもの世界が広がっているんです。
例えばこんな子どもの詩があります。
おとうとが
「おとうさん よくこんな ぶっといおかあさんを およめさんにもらったね」
といいました
おかあさんは「ぎゃふん」といって
ひっくりかえりました
おとうさんは
「げんきなだけでうれしいよ」
といいました
つぎの日から
おかあさんはおかしをたべなくなりました
なんだかこの詩を読んで胸が温かくなりませんか?
お兄ちゃんが感じた弟とお母さんとお父さんの言葉のやりとりから、
家族の何気ない幸せを感じます。
大人が言葉にしないだろう気持ちを
子どもが素直に口にしてくれる。
そんな子どもから始まる会話が大人どうしの隙間を埋めてくれる。
大人はいつも大人だし、
子どもはいつも子どものままなのだと思うのです。
でも、子どもがいなければ大人は大人になんてなれないし、
子どもだって大人がいなければ子どもになれないのでしょう。
お互いがお互いのために役割を演じているのですね。
大人がしっかりしない子どもを不安に思うように、
子どもにだって大人を不安に思うことがあるのだと思うのです。
大人どうしのやり取りに子どもながらに感じる不安があるんです。
お父さんとお母さんが仲良くしている時、
子どものボクらは生まれて良かったんだと思いました。
お父さんとお母さんが好きな同士な仲でいることを知って、
子どものボクらは自分が思うことを口にしていいんだなって思いました。
それでも、言葉を話さない子どもたちがいます。
そんな子どもたちに言葉を言わせようとする大人たちがいます。
話さないのはなぜでしょう?
話すということを知らないのでしょうか?
話すという遺伝子が欠けているのでしょうか?
それもあると思うのですが、
それだけではないと思うんです。
ママとパパを確かめるために。
不安だから子どものボクらは話すんだ。
話しなさいって言われても上手に話せない。
大人のお世話になってばかりいるボクらだけど、
そんな子どものボクらにだって、
何かみんなの役に立ちたいと思ってる。
ボクらの周りのみんなが楽しそうに過ごしている時、
ボクらは思っているんだ、
ボクの気持ちを口から出してみようかなって。
そろそろ言葉という道具を使ってみようかなって。
目と目を合わせるだけでは、 伝えきれない気持ちがあるから。
It might seem crazy what I’m ‘bout to say
Sunshine she’s here, you can take a break
I’m a hot air balloon that could go to space
With the air, like I don’t care baby by the way
HappyーPharrell Williams