大阪市天王寺区・西区の
児童発達支援・生活介護「スバコ」

知的ってどういうこと?


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知性ってなんだろうか?
知性が高い、低いってどういうことでしょうか?

「同じ失敗ばかりしてしまう。。。」
「もっと人に分かりやすく話せるといいのになぁ。。。」
だれにだってそんな悩みがあるのではないでしょうか?
それは私にだって、
あなたにだって、
この子にだって。

子どもと大人の違いはなんでしょう?
体の大きさでしょうか。
それも確かですが、
大きな違いは「経験の量」だと思います。

空が曇ってきた・・・雨が降るかもしれない・・・
空がゴロゴロと鳴りだした・・・雷が落ちるかもしれない・・・

このような「かもしれない」という思い(仮説)は
曇りのち雨や、曇りのち雷という経験を繰り返したからこそ生まれているのでしょう。
それならば、曇りになれば傘を用意するという行為ができれば知性が高いのでしょうか?
空が曇れば雨が降るという文が知識と言えるのでしょうか?
曇りになれば、必ず雨が降るわけではありませんよね?
だから、空が曇れば雨が降るという文が知識とは言えないのです。

すこし、難しいですよね。

知識とは「なに?」と思うことそのものなのかもしれません。
知性とは知っていることよりも、知らないことに向かう態度なのだと思います。
知っているかが大切ではなくて、
知らない場合にどうするか?
その態度が知性だと思うのです。

幼児の言葉の発達の中で不思議なことがあります。
知らないものの名前を知ろうとするために「なーに?」と聞き出す時期が訪れます。
そして、次は名前ではなく理由を知ろうとするために「なんでー?」と繰り返す時期が訪れます。

これこそが「知性」だと思うのです。

物の名前がわからなくても、「なーに?」が分かれば知ることができるのです。
物事や出来事の規則が分からなくても、「どーしてー?」が分かれば知ることができるのです。

言葉の少ない子どもに教えるべきは言葉でしょうか?
それだけではないのかもしれません。
知っている言葉や規則の量でその子の発達が遅れているとは言い切れないのかもしれません。

大切なことは知らないこと、分からないことをどのように扱うのかだと思うのです。
知らないことに向き合おうとしない限り、
「なーに?」や「なんでー?」は生まれてこないでしょう。

子どもに知らないことを教えようとするならば、
まず、その子が知ろうとすることが大切でしょう。

それは大人と子どもとの関係だけでなくて、
家庭内での夫婦、職場内での上司部下、学生同士の先輩後輩の間においても同じことなのでしょう。

あなたは知らないこと、分からないこととどう向き合っていますか?

困っていること、恥ずかしく感じていることは「知らない」のではなくて、
「どうやって知ればよいのか?」が知らないからではないでしょうか?

それを自分で知ることができるのなら誰も学校に行かないのかもしれません。

我が子の育て方が分からない保護者様や、
保護者様や子どもたちを援助したいが方法が分からない方にとって、
私たちができることがあります。

分からない原因はお教え致します。
どうすればよいかは一緒に考えていきましょう。

お母さんがその子本人にとって最高のお母さんになるように。
最高の最高の最高ですよ。
自分にとって世界一のお母さん、お父さんになって頂けるように。

子育てって素晴らしいものです。
奪ったり、捨てたりなんてできません。

生きがいですから。

「チューリップ」
さいた さいた
チューリップのはなが
ならんだ ならんだ
あか しろ きいろ
どのはな みても
きれいだな