韻に出会う時

ボクは来年の春から小学生。
でも、まだ文字が読めない。
言葉もたどたどしい。
そんなボクをママは心配してくれている。
でも、ボクが遅れているのかな?
ボクは気になるんだ。
字というよりも傾きが・・・・。
言葉というよりも音が・・・。
たとえば、『ゆ』ってあるじゃない?
あの音がどうしても納得できなくて。
僕には『いう』に聞こえるんだなぁ。
小さい『い』に、大きい『う』っていう感じ。
それでも、みんなは『ゆ』と思ってる。
『りゅ?』
『う?』
『いう?』 深く考えたり、
小さなことを気にしすぎると、
周りの友達から離れてしまうことってあるんだね。。。
子どもが仮名をを習う時、それは子どもが音の世界の幅を狭める入り口でもあるようです。
50音表というものがあります。
「あ・い・う・え・お」 という横の行の音韻を母音、
「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ」という横の列の音韻を子音として整理する表です。
この表が分かりやすいと思われているのですが、
実は小さくこだわってしまう子どもにとっては厄介な区分けでもあります。
例えば、『ゆ』です。
母音が『う』だとすれば、子音は何でしょうか?
『わ』も同じです。
母音が『あ』だとすれば、子音は何でしょうか?
ここが日本語の関門の一つです。
「さ・し・す・せ・そ」も厄介です。
「サ行」という一つのグループにしていますが、
「さ・す・せ・そ」と「し」を別の列のグループにしてあげれば、「し」を上手に言える子どもがいます。
「こ」に含まれる「お」と、「と」に含まれる「お」は同じのようで、
作られる口の中での位置が違うのです。
そんな違いのある音だけれど、
ざっくりと50音で縦10列、横5行の表にして教わってしまうのです。
なぜ、音を50音にするのでしょう?
それは簡単です。
文字を減らすためです。
日本語の文字は英語やフランス語の文字とは音の単位のレベルで異なります。
英語やフランス語の文字は音への対応がより細かいです。
例えば日本語の「べ」は英語では「be」になり2文字になります。
日本語なら1文字にできるところを英語は2文字になってしまうのです。
英語は2文字で表記できる分、音の組み合わせは増えますので発音の幅が広がります。
しかし、日本語はその逆です。
発音の幅が狭まります。
その分、日本語を話す者同士の発音の違いが少なくなり、聞き間違いも減ります。
このルールに従って子どもが素直にあるがままを受け入れていくことが課題です。
どうでしょう?
『さかな』を『しゃかな』と呼ぶ子どもにどのように説明しますか?
『さ・し・す・せ・そ の 「さ」 だよ。』という前に、
もっと、子音を感じさせてあげるような説明をして、
間違いを正すといよりも、
新たな発見を一緒に見つけていくような態度が大切だと思います。
子どもはいつだって正直です。
泣いて、つまずいてしまうことを矯正させるのではなくて、
その原因を子どもが向かっている課題にも目を向ければ、
もっと分かりやすい説明ができるのではないでしょうか。
覚えさせることは「力」に任せているのかもしれません。
焦りや不安を与えて動かすことが教える力ではなくて、
『いいことに気づいたね』
『いい質問だね』と大人に言われて子どもが喜びを感じるような、
そんなキャッチボールが大切だと思っています。
疑問に思っていいんだよ。
分からないって言っていいんだよ。
分からない理由を考えようじゃないか。
そこに科学があるのだから。
I can’t get no satisfaction
I can’t get no satisfaction
‘Cause I try and I try and I try and I try
I can’t get no, I can’t get no
Satisfaction-The rolling stones