2つ動く。

私たちの目は2つあります。
私たちの腕は2本あります。
足も2本。
肺も2つ。
そして脳も左右に分かれて2つあリます。
心臓や肝臓、口や胃、膵臓は一つですが、
私たちが外の情報をとらえたり、動かしたりするための構造は
2つ用意されているものがほとんどです。
どうしてでしょうか?
なぜ、2つ必要なのでしょうか?
1つが壊れた場合の備えとして、もう一つある・・・。
2つあれば、労力が半分になったり、交互に休めるので長持ちする・・・。
確かにそうかも知れません。
人間ほど長生きできる生物も数少ないことは確かです。
でも、子どもたちの発達に関わっていると他にも理由があるように思います。
どうして、目や脳などが2つ必要なのでしょうか?
それは命の長さのためだけではなくて、
レベルの高い行動のために用意されているのだと思うのです。
赤ちゃんを抱きながら歩く。
テレビを見ながらご飯を食べる。
本を読みながら声を出す。
私たちは1つのことに集中するだけではなくて、
2つのこと、時として3つの作業を同時に行うことができます。
テレビを見ながらご飯を食べることがマナーとして良いかどうかは各ご家庭で意見の分かれるところですが、
私たちは1つのことだけではなくて、興味のある2つ目も同時にチャレンジしたくなる特性があるのでしょう。
2つのことを同時にすることは良いことなのでしょうか?
あなたはどう思いますか?
1つするべきことをやり遂げないまま、もう1つのことに手を出せば、
はじめに行っていたことがおろそかになってしまう。
『2兎追うものは1兎も得ず』
この ことわざ通りなのでしょうか?
『時間を気にしながら遊ぶ』
『静かにお話をする』
『水筒をカバンに入れることを忘れずに制服を着る』
『積木が壊れて大泣きする自分を慰めてくれている先生の声を聞く』
2兎追うかのように欲張ってはないけれど、
2つのことを同時に処理したり、順を整えて、処理の方法を企画して、継次的に対応していく能力は
私たちが自立した生活を送るためにとても必要な力なのでしょう。
この2つ、3つの作業を同時に行っていくために私たちの体には左右の作りが似ているのかも知れません。
言い換えれば、
この左右の体を活かして1つ、もう1つと仕事を増やして行動することができているのか?
できる限り多く、できる限り早く、できる限り正確に動くことができるか?
そういう意味がこの体の作られ方に含まれているのかも知れませんね。
不思議なことに脳も左右に分かれていて、左脳・右脳が存在します。
さらに不思議なことに言語の機能は両方の脳にはありません。
ほとんどの人は左(利き手の反対)にあります。
右の脳が脳梗塞などで障害されると左の腕や下肢が麻痺することがありますが、言葉はあまり障害されません。
しかしながら、左の脳が損傷されると、右側の麻痺だけでなく、言葉も障害される場合があります。
なぜでしょうか?
左右の脳に言語の機能があれば失語という障がいを受けなくても済むはずなのに。。。
言語の機能が左右の両方に備わることの方が不便なのでしょうか?
言葉が人にとって絶対なくてはならないものではないのでしょうか?
右脳が損傷した人と、左脳が損傷した人で『間違い探し』のような心理テストをした場合に、
左脳の損傷者は右脳の損傷者に比べて処理の速度が速かったという報告があります。